『2年間の終末医療における考え方の<差>・・』

昨年末、義母が亡くなった。我が母から2年遅れだった。昨年の春過ぎに救急車で基幹病院に入院したあたりから坂道をころげおちるように状態が悪くなって行った。

そもそも義母は丈夫な人で、内蔵のどこが悪いということもなくこれまで92年生きてきたので、どこが悪いのか!?と危惧したが、救急入院の原因は「急激に血圧が下がった」ということだった。「危ないかもしれない」コールあり。それを聞いてあわてて帰郷する準備をしていたら「もちなおしました」連絡あり。

その後、どこがどうということなく「もう退院してもらってええですよ」と10日間ほどでさっさと介護施設に戻されてしまった。ところが・・ほとんど食べられなくなっていた。このままでは弱ってしまうということで、エンシュアなる栄養補助飲料を飲まされる日々が続いたが、点滴に通院したりと施設側に負担が出て来て「胃瘻なり経鼻なり・・」なんていう話がちらほら聞こえてくるようになったため、急いで義母の引受先をあらたに探すはめに陥った。もうすぐ特養に入れそうだったのにしかたないなあ、という感じだった。

2年前の実母のケース、大腿骨の骨折から始まった3年間の苦難の道は、救急搬送→急性血小板減少性紫斑病を併発し手術に至るまで治療、その後手術&リハビリ(認知症のためうまくいかず)→ 退院 → 個人病院付属ショートステイ入所 → 小規模多機能型施設に移る(週に1度自宅泊まり)→ 小規模多機能型の別施設に移動(週に2度自宅泊まり)→ 再び骨折し救急搬送 → 手術退院 → リハビリテーション病院入院 → 狭心症にて救急搬送でN赤へ戻り入院 → ICUにて治療 → 病棟に移るも手術不可能と告げられ転院をすすめられる → 医療型の介護施設に入所 → 誤嚥肺炎を起こしN赤に戻り入院 → 何度か転院を試みるがその度に状態が悪化し滞在伸びる。父と同じ介護施設に入るため胃瘻を作るが、その間に父親が亡くなる。 → 療養型病院に受け入れてもらえ最後の3ヶ月ほどを過ごす。ほとんど会話できず。最後の2ヶ月は意識もあまりなかった。

とはいうものの、母が入っていた4人部屋は明るく清潔で加湿器も完備、カプセル状のお風呂に入れてもらい通気性に優れている紙おむつを格安で使ってくれたりと最後の最後でやっとまともなケアが望める環境に受け入れられたことは大変有り難かった。加えて、担当医はこちらの話をきちんと聞いてくれ、自分たちのできることできないことをはっきり示してくれたし、スタッフはみなさん温かで、短期間ではあったが嫌な気持ちになったことが一度もなかった。良いところというのはすべて良くて、酷いところはすべて酷いものだとはっきり認識できた。ちょっと遅かったけど・・
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さて義母の話に戻るが、どこに受け入れてもらえるか、早々に見つかるはずはないと思っていたが、入院先の担当医がたまたま病院長だったので「どこか紹介してください!」と切羽詰まった様子で頼んだら「うちの市にはないですよ。徳島まで行くかそれとも隣のさぬき市か」と言われたので、なら隣の市でお願いした。紹介があったのは数年前から厚労省が全面撤退を宣言している「療養型医療施設/療養病床」である。むかし「老人病院」と呼ばれていた施設だそう。個室は見当たらず多床室、ほとんど寝たきりで、酸素吸入や胃瘻・経鼻などのチューブにつながれている患者の割合が非常に高い病院である。
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続きはまた明日〜
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by ekaki-tsuma | 2015-01-07 17:09 | 老人クライシス


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